どんな天気の日も…takechanの書きたいときに書く日記

大阪市阿倍野区在住の暇な趣味人です。好きなことは、木漏れ陽の下で爽やかな風に吹かれること、夕陽を眺めること、美しいものにふれること、そしてなんと言っても、食べることと飲むこと。お酒はビール、ワイン、日本酒などの醸造酒が好きです

ボヘミアンラプソディ

愛する

かけがえのない

ユニークなあなたへ

 

映画は好きなのだが、この数年あまり観に行かなくなった。

いつの間にか、そういうゆとりをなくしていた。

 

今年観た唯一の映画が、「ボヘミアンラプソディ」だった。

僕がゲイだということを知っている何人かの知人が、勧めてくれた。

 

クイーンにもフレディ・マーキュリーにも興味はなかったし、恥ずかしながら、彼らのことは名前ぐらいしか知らなかった。

 

だが、映画を見ていて、懐かしくなった。

彼らの音楽の何曲かは、どこかで耳にした覚えがある。

テレビのコマーシャルソングに使われた曲もあるしね。

そして、フレディの歌声は、本当に美しいと思った。

 

フレディのセクシュアリティについての描写も興味深かった。

彼は、女性と男性のいずれも性的興味や恋愛感情の対象としていたので 、バイセクシャルだったのだと思う(どちらかと言うと男性の方が好きだったのかもしれないけど)。

僕は男性にしか興味のないゲイなので、ともにセクシャルマイノリティといっても、違うカテゴリーに属している。

ただ、男が好きという点は共通しているし、それ故に彼が感じたであろう葛藤と苦悩は、僕にも理解できる。

彼は生前、自分のセクシュアリティをオープンにすることはなかった。

そして、そのことを批判する声もあるという。

ただ、僕は「そうは言ってもね」と思う。

僕もゲイであることを隠してきたし、今も完全にオープンにしてるわけではないから。

 

彼が、1991年にエイズの合併症で亡くなったということを知って、あの頃の記憶がよみがえった。

僕もあの時代を生きた。

エイズに怯えながら。

今はエイズの発症を抑える薬が開発されている。

HIVウィルスに感染しても、薬を飲み、適切な健康管理を行えば、天寿を全うすることは不可能ではない。

だが、当時はそうではなかった。

HIVウィルスに感染することは、不治の病に侵されたということを意味した。

エイズの検査を受けて、その結果を聞きに行くことが、本当に怖かった。

フレディが、検査結果が陽性だと伝えられたときのショックを想像することができる。

僕は幸運なことに陰性だった。

そして、僕は今も生きている。

この1年を無事に過ごし、新しい年を迎えようとしている。

これを当たり前のことと言ってしまうこともできる。

しかし、当たり前のことこそが、ありがたく、幸せなことなのだと改めて思う。

 

もうすぐ年が明ける。

最近は暇になった。

来年はもっと、映画や芝居を観たいと思う。

 

良い年をお迎えください。

 

あなたが

いつもあなたらしく

幸せであることを祈っています

 

 

小さなイタリア料理店で

愛する

かけがえのない

ユニークなあなたへ

 

少し前に、最近行くようになった小さなイタリアンの店で遅めの夕食をとったときのこと。

 

この店に行くと、いつも2000円のセットを注文する。

飲み物を3杯、タパス(小皿料理)を2品頼むことができる。

この日もそれを注文した。

 

3杯目のワインに口をつけようとしたとき、心の中でこんな声が響いた。

「辛かったよね」

そう、ずっと辛かった。

という思いとともに、頭の中に「自己憐憫」という言葉が思い浮かんだ。

そうかもしれない。

そう思われても良い。

僕も自分が、そんなに不幸な境遇を生きてきたわけではないと思っている。

人と比べると、どちらかと言えば恵まれた境遇を生きてきたと思う。

それでも、ずっと辛かった。

生きづらさを感じてきた。

 

僕の父は、決して悪い人ではなかった。

ただ、気難しくて、情緒が不安定なところがあった。

子供時代、いつ怒り出すか、怒鳴り出すか分からない父が、本当に怖かった。

思春期になると、父のことを忌み嫌い、避けるようになった。

父が、理不尽な怒りをぶつけるたびに、憎んだ。

殺してやりたい、そう思ったことも何度かあった。

でも、僕にもずっともわかっていた。

父が、父のなりに僕のことを愛していることを…

 

幼稚園や学校は嫌いだった。

ずっと通い続けたけど。

団体生活とか集団行動って苦手なんだ。

 

内向的な性格にも悩み続けた。

  人と器用に付き合えない。

何度も変えようとしたけど、変わることはなかった。

 

世間話が苦手だ。

沈黙が長く続くと、一緒にいる人に、居心地の悪い思いをさせているのではないか、退屈させているのではないかと思って、申し訳ない気持ちになる。

何か話さなくてはと思うが、何も思い付かない。

 

ゲイであることをずっと隠してきた。

差別されるのが怖かった。

なんとなく後ろめたさを感じてきた。

 

大嫌いな仕事も、30年近く続けた…

 

こんな思いがよぎっていくと、

もうダメだ。

涙があふれ出し、頬をつたっていく。

 

小さな店のカウンター席で、赤ワインをすすりながら、僕は涙を流し続けた。

 

店のマスターは、気づかないふりをしてくれた。

優しい人だ。

 

しばらく涙を流し続けると、胸が温かなもので満たされた。

思えば、長い間涙を流していなかった。

僕、泣きたかったんだね。

 

あなたはいつ涙を流しましたか。

 

あなたが

いつもあなたらしく

幸せであることを祈っています

聖夜

愛する

かけがえのない

ユニークなあなたへ

 

もうすぐ日が沈む。

すると降誕祭(クリスマス)が始まる。

あなたはどんなクリスマスを迎えるのだろう。

 

もしよければ、数年前のクリスマスについて書いた詩を読んでください。

 

      聖夜

あの夜

僕は暗い坂道を歩き続けた

あの夜

一人でいたくなかった

あの夜

ロザリオを買った

昔もらったロザリオは

どこを探しても見つからなかったから

木の珠を涙のようにつなげたロザリオを

 

大聖堂は人であふれている

席はなく

立ったままミサに与る

 

床に人々がひしめいているのに

天井の方は恐ろしくがらんとしている

天使や死者の魂のための場所を空けているのだろうか

 

一人の男の子が

前で行われている儀式を見るために

左側の隙間にもぐり込んできた

「抱っこしてあげようか」と声をかけると

後ろにいる母親の顔をちらっと見る

「いいえ、どうもありがとうございます」

男の子は笑いながら首をふる。

 

だが男の子は

目の前にある椅子の背に

はい上がろうとするのを止めない

 

もう一度、僕は言う

「抱っこしてあげようか」

やはり、笑いながら首をふる

 

自分が

子供というものを持たないのだろうと思うと

甘酸っぱい味がする

乳香の香りは焦げくさいが

奥の方に甘みがある

 

「今日、あなた方のために一人の嬰児が生まれた」と唱えられる

 

この夜

僕はまだ正気のふりをしている

この夜

喉の奥にはりついた痰は

おぼろげな腕を広げて

僕のために贖いの業をなす

 

僕は咳払いをして

喉の奥で行われている救いの業を幾度も確認する

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

読んでくれてありがとう。

よいクリスマスをお迎えください

 

あなたが

いつもあなたらしく

幸せであることを祈っています

ベツレヘムの星

愛する

かけがえのない

ユニークなあなたへ

 

毎年、この頃になると、読み返してみたくなる本ってありませんか?

僕には何冊かあります。

その中の1冊がこれ。

ベツレヘムの星」(アガサ・クリスティー著、早川書房)

アガサ・クリスティーといえば、「ミステリーの女王」ですが、この本はミステリーではありません。

クリスマスにまつわる心温まる11篇の小品を収めた短編集なのです。

この本の題名の由来は、もちろん東方から来た3人の博士たちをベツレヘムイエス・キリストのもとへと導いた星のこと。

このエピソードは、新約聖書の「マタイによる福音書」に書かれている。

聖書についての学問的研究が進み、現代の新約聖書の研究者たちの多くは、このエピソードが事実であることを疑問視するようになった。

それでも、僕はこの物語が大好きだし、美しく味わい深いものだと思う。

ベツレヘムの星」は、僕たち一人一人に与えられた、人生を導く星のメタファーだと思うから。

 

今日、日が沈むと、降誕祭(クリスマス)が始まる。

ユダヤ教古代ローマ時代の暦と同じように、教会の暦は、日没を1日の境目としているのだ。

 

あなたはどんなクリスマスを過ごすのだろう。

 

僕は、大好きな店で知人が行うクリスマスライブに行く。

ハギンHuggin’というシンガーソングライターのライブに。

https://ameblo.jp/huggin/entry-12426469514.html

彼女は、アメリカ人男性と離婚後、3人の子供を育てながら、34歳にして一度は諦めたシンガーソングライターを目指して活動を始めた。

彼女の「ベツレヘムの星」は、彼女を音楽の道へと導いたのだろう。

彼女の歌声とその姿勢に僕は勇気づけられる。

僕は今、自らの「ベツレヘムの星」を探し求めているから。

 

あなたは、自らの「ベツレヘムの星」を見つけたのだろうか。

それは、あなたをどこへ導くのだろう。

 

既に見つけたという人は、おめでとう。

あなたが歩む道を僕は応援します。

 

僕と同じように今探し求めている人は、早く見つかりますように。

あなたを導く人生の星は、きっと見つかる。

 

あなたが

いつもあなたらしく

幸せであることを祈っています

やっぱりさみしい……地中海料理「CocoMomo&Co」

愛する

かけがえのない

ユニークなあなたへ

 

クリスマス前の土曜日、年甲斐もなく友達と明け方近くまで遊んでしまいました。

次の日起きたのは午後遅く。

疲れて爆睡してしまいました。

久しぶりに踊ったので。

筋肉痛が出るのは、明日ですね。

歳をとるとこうなります。

若いあなたも、いつかこうなるよ。

 

腹が減ったので、起き出して、顔を洗って、適当に服を着込んで、家を出て、自転車に飛び乗って、着いたのはここ。

地中海料理「CocoMomo&Co」

https://www.facebook.com/cocomomonco/

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ちょうど白人の男性と日本人の女性の2人組のお客さんが、出てくるところでした。

見送りに出てきたオーナーシェフのリンに

「 Lunch,OK? 」と聞くと

「OK」と笑いながら答えてくれました。

よかった。ランチタイムは、とっくの昔に過ぎていたのですが。

この店でランチが食べられる機会は、もう何度もありません。

ちょっと迷った末に、これを頼みました。

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「地中海風シーフードと野菜のシチュー」

好きな料理だけど、しばらく食べてなかったしね。

お米も選べるけど、今日はガーリックトーストを添えてもらいました。

海老、 イカムール貝ブロッコリー、ズッキーニ、ミニトマト……具がたっぷり。

あっさりしたものを食べたいときに丁度いい。

スープもあっさりとした優しい味だけど、魚介と野菜のうまみが凝縮されていて、コクがある。

白ワインが進むわ。 2杯飲んじゃった。

あっ、忘れてたけど、ランチのときは、メインの前に、サラダとスープが出てきます。

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スープは日替わりで、今日は味噌仕立てのにんじんのスープでした。

優しいにんじんの甘みと味噌の風味、ブラックペッパーなどの香辛料が、ほど良くアクセントを添えるが、リンが作る料理らしい優しい味わいがする。

 

お腹も心も満たされます。

 

この店が4年ちょっと前にオープンして以来、よく来ています。

僕に食べることの喜びを教えてくれた大切な店の1つです。

 

オーナーシェフのリンは、中国系マレーシア人で、若いときからロンドンやモスクワなどで料理人とパティシエとしてのキャリアを積んできました。

グローバルなキャリアを持つ彼の店らしく、この店は、いろんな意味でグローバルです。

地中海料理」を看板に掲げていますが、イタリア、スペイン、ギリシャチュニジア、モロッコなどの地中海沿岸各地の料理だけではなく、イギリス、アメリカ、メキシコ、そして彼の生まれ故郷のマレーシアなどの料理も食べさせてくれます。

 ビーツが手に入ったときは、ビーツのサラダやロシア料理のボルシチを作ってくれました。

この店で、世界各地のまだ食べたことのない様々な料理を楽しませてもらいました。

地元にいながら、舌で世界旅行してる気分ですね。

この店に来るお客さんたちもグローバルです。

僕のような地元に住む日本人とともに、大阪在住の世界各地出身の人たちや、すぐ近くにある辻調理師専門学校で学ぶアジア各地からの留学生たちもよく来ていました。

30人も入りきらない小さな店の中で、ときには、英語、フランス語、スペイン語、中国語、韓国語、そして日本語が入り混じって話されているのを聞くと、世界はどんどん1つに結ばれているのだと実感しました。

そういえば、僕も行くけど、クリスマスイブの夜は、ここでライブがあります。

それに7名のインドネシア人が申し込んでくれたことを話した後、「申し込んでくれて、とても嬉しいけど、結構大変だったりもするんだよ」とリンはニコニコしながら言っていました。

そうだろうね。彼らはムスリム(イスラム教徒)だから、彼らには、豚を一切使わない特別メニューを用意してあげる必要がある。

グローバルシェフは大変だね。

 

大好きなこの店ですが、残念ながらもうすぐ閉店します。

リンはマレーシアのクアラルンプールの中心部近くで、もっと広いレストランをオープンすることになったからです。

新しいステージへと進んでいく彼を、友人として喜んで見送りたいと思います。

でも、正直に言うと、やっぱりさみしい。

もう彼の料理を食べられなくなることが。

そして、もう彼と会えなくなることが。

 

あなたが

いつもあなたらしく

幸せであることを祈っています

ビールと料理のマリアージュ

愛する

かけがえのない

ユニークなあなたへ

 

昨日は冬至でしたね。

今日から少しずつ日が長くなっていきます。

季節は歩みを進めているのですね。

そして、明日はクリスマスイブ。

 

さて、一昨日の金曜日は、友人のM君達とクラフトビールと料理のマリアージュのコースを楽しんできました。

今回行ったのは、天王寺で唯一のクラフトビール専門店のレゼット。

https://m.facebook.com/LezzetCraftBeerBar/

月に1度、テーマを決めて期間限定でマリアージュのコースを提供してくれます。

12月のテーマは「クリスマス・フレンチ」。

4皿の料理と、そのそれぞれにに合わせた4種類のクラフトビールがいただけて5000円。

ワインと料理のマリアージュのコースはたまに聞くし、日本酒もそういうのがあると聞いたことがあるけど、ビールについては初めてです。

日本で多く飲まれているドラフトビールは、たいていの料理と合う万能選手だからかもしれません。

でも、クラフトビール(地ビール) を始めとする様々なタイプのビールが飲まれるようになった今、ビールと料理のマリアージュに興味を持つ人は、これから増えていくのではないでしょうか。

 

今回のコースの1皿目は「ロケットのキッシュ」。ビールは「はっさくホワイト」。

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まずは「はっさくホワイト」をひと口いただきます。ほのかな柑橘系の香りと爽やかな酸味が感じられる、とても飲みやすいビールです。

「ロケットのキッシュ」は、シンプルなキッシュにルッコラ(フランス語ではロケット)とトマトソースを添えたもの。

食べてみると、キッシュの生地の香ばしさと玉ねぎとチーズの風味、そしてトマトソースが、みずみずしく爽やかなルッコラの苦味によく合います。

ここで「はっさくホワイト」を口に含むと、さらに爽やかな絶妙なハーモニーが展開する。美味い😋

 

2皿目は「鯛のポワレ」。ビールは「レッドボック2018」。

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まずは「レッドボック」を。

ビールとしてはかなり重口で、ほのかな甘みとカラメルのような香りが微かに感じられる。

「鯛のポワレ」は、皮は香ばしいが、身はふわっとして淡白で、にんじんのソースがよく合う。

これに「レッドボック」が加わると、鯛の身の旨みがぐっと引き立つように感じました。

 

3皿目は「牛ほほ肉のワイン煮込み」。ビールは「サワーソニック

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「サワーソニック」は、酸味が強くて軽口で、ほのかに青臭さを感じるが、それが全く嫌な感じがしない。真夏なら、水がわりにぐびぐび飲みたくなるようなビール。

「牛ほほ肉のワイン煮込み」は、言わずと知れたフレンチの定番。野菜たっぷりのコクのあるソースで煮込まれたほほ肉は、とろけるように柔らかい。

ワインだったら、それなりにしっかりした味わいの赤を合わせるだろうから、ちょっと意外な取り合わせだったが、「サワーソニック」と一緒だと、飲むたびに口の中がさっぱりとして、この料理がすすむ。もっと食べたくなってしまいます。

 

4皿目は「ブッシュ・ド・ノエル」。ビールは「社長がよく飲むビール」(←左側のグラスね)

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「社長がよく飲むビール」は、アルコール度数が10%と、普通のビールの倍近くあり、味わいもとてもしっかりしている。どことなくフルボディでやや甘口の白ワインを連想させるところがあるが、口に含んだときの香りは、もっと個性的な感じかな。

ブッシュ・ド・ノエル」は、皆さんご存知のクリスマス定番のロールケーキ。今回いただいたのは、黒いスポンジでチョコレートクリームを包んだロールケーキに、ベリーソースが添えられたもの。

食べてみると、やはり口の中で主役となるのはチョコレートクリーム。甘酸っぱく爽やかなベリーソースがそれを引き立て、甘さ控えめでしっとりとしたスポンジが、両者に優しく寄り添う。

ここに「社長がよく飲むビール」が加わると、さらに複雑な素敵な味わいが広がる。これって「大人の味」といういうやつですね。

ちなみに、右側のグラスはM君が頼んだ黒ビールを分けてもらったものです。かなり味わいが濃くて、「ブッシュ・ド・ノエル」のチョコレートの風味とよく合いました。これも素敵なマリアージュですね。

 

今回の会を企画してくれたM君は、僕が「食の道」の先達と仰ぐ友人で、僕よりかなり若いのですが、おいしいお店をいっぱい知っています。

おいしい料理とおいしいビール、そして両者のマリアージュを楽しみながら、お腹も心も満たされました。M君、ありがとう😊

 

あなたが

いつもあなたらしく

幸せであることを祈っています

 

 

嘘のクリスマス?

愛する

かけがえのない

ユニークなあなたへ

 

僕のメンターの1人であるYさんは、この季節になると、この言葉を口にする。

「嘘のクリスマス」

少々へそまがりなところがあるYさんは、「幻に過ぎない世間に踊らされるのは、馬鹿なことだよ」というメッセージを込めてこの言葉を使う。

 

確かに、キリスト教徒など少数しかいない日本なのに、ハロウィンのバカ騒ぎが終わると、今度はクリスマス商戦が始まる。

「あれを買え」

「これも買え」

「聖夜は恋人と豪華なディナーへ」

金を使えもっと使えとばかりに、

マスメディアが

広告が

僕たちを洗脳しようとする。

あ〜、うんざり。

日本のこんな商業主義にまみれたクリスマスに対して、僕も嫌悪感を抱いてきた。

 

そもそも、12月25日はイエス・キリストの誕生日ではないようだ。

聖書のどこにも、彼がいつ生まれたのかは書かれていない。

ただ、新約聖書福音書(イエスの生涯を記した書物)に、彼が生まれたときに野で羊の番をしていた羊飼いたちがやって来たことが書かれている。

パレスチナで羊の放牧が行われるのは、もっと暖かな4月から9月にかけての時期なので、12月に彼が生まれたというのはありえないことになる。

にもかかわらず、12月25日がイエス・キリストの生まれた日と定められたのは、一説によると、キリスト教と同時期にローマ帝国各地に広がり、ライバルであったミトラ教(ペルシャ起源の太陽神を崇拝する宗教で、キリスト教と共通点も多かった)の冬至の祭りを取り入れたからだという。

競争に勝つために、ライバルの持ちネタをパクるのは、よくある話だが、もしそうなら、クリスマスは布教のための方便……えっ、嘘も方便というやつ?

 

さらに言えば、20世紀以降、聖書についての学問的研究が進んだ結果、現代の新約聖書学者の多くは、福音書に書かれたイエス・キリストの生誕についてのエピソードが事実であることを疑問視している。

 

やっぱりクリスマスは嘘なのか…

 

だが、そう断言することに僕はためらいを覚えてしまう。

そして、思い出すのは、はるか昔に読んだカトリック作家・遠藤周作のエッセイのことだ。

 

「だがイエスの生誕日が曖昧でも、べトレヘムで生まれたのではなくても、私は彼の生まれた場所、生まれた日を決めざるをえなかった人間の願いのほうに心ひかれるのだ。

長い長い歴史の間、人間はやっぱり救われたかったのだ。

自分たちの心を洗いきよめてくれる救世主がほしかったのだ。

彼が生まれた日と場所を決めたかったのだ。

だからこそ年に一度、あの冬の雪の降る季節の一日をクリスマスにして、せめてその日だけは自分たちの心を洗いきよめようと大事に伝えてきたのである」

「イエスがべトレヘムで生まれたことは、事実ではないかもしれぬ。

星に教えられてそのイエスをべトレヘムまで探しに行った東方の博士たちの物語は勿論、伝説であろう。

しかし、人間をきよめる存在を、つまり人生の星を求める博士たちの物語を創らざるをえなかった心のほうが、私には真実である。真実は事実よりもっと高いのだ」

(「名画・イエス巡礼」遠藤周作著  文藝春秋)

 

遠藤も言うとおり、福音書のイエス生誕のエピソードは、事実ではなく神話だろうが、人間のイマジネーションが生み出した、最も美しい物語の一つだと僕も思う。

もっとも、そう思うのは、僕も一応カトリック教徒だからかもしれないが。

 

久しぶりに遠藤のエッセイを読み返してみて、僕も書きたくなったことがある。

クリスマスは、キリスト教を信じていない人たちにとっても、意味があるし、あって良いものだと思う。

 

人間はパンだけによって生きるわけではない。

人間が生きるためには、イマジネーションが必要だ。

そして、クリスマスはイマジネーションの宝庫ではないか。

例えば、サンタクロース。

クリスマスと言えば、誰もが思い出すだろう。

 

サンタさんのプレゼントを心待ちにした思い出のある人は、本当に幸せな子供時代を送ったとは言えないだろうか。

偉大な芸術家や科学者の中には、成長して分別や常識というものを知るようになった後も、心の中にサンタクロースの居場所を持ち続けた人たちが、少なからずいたのではないか。

想像力(イマジネーション)は、創造性という資質を成り立たせるために、最も必要な能力ではないのか。

 

だから思うのだ。

あの商業主義にまみれた大騒ぎとは関わり合いになりたくないが、クリスマスはあっても良いと。

クリスマスは必要なのだと。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

いつもあなたが

自分らしく

幸せであることを祈っています。