詩を書くこと
今から書くことは、もともとこのすぐ前の記事「浜辺にて」で書くつもりだったけど、長くなりそうなので省略したものです。
やはり書いておきたいので、書きます。
自称詩人なのだが、しばらく詩が書けなかった。
この前の夕方、久しぶりに詩が書けた。
本当のことを言うと、詩は書くものというより、降りてくるものだと思っている。
こんなことを書くと、訳が分からないと言う人もいそうなので、もう少し言葉を費やして説明を試みると、こうなる。
もっとも、僕は詩学とか詩論については、ほとんど勉強したことがないので、あくまでも個人的な意見に過ぎないけど。
詩を生み出すということは、ただ感じることしかできない何か、日本語で「詩情」、英語では「ポエジー( poesy)」とか呼ばれる何かに、なんとかかんとか言葉で形を与えることだと思う(これってホントは不可能なことなんだけど、この点についてはここでは深入りしないことにする)。
この「何か」は、おそらく、この世界(僕たちが現実だと思い込んでいるこの世界)とあちらの世界の境界の領域に出没する何かであって、これを感じ取るためには、それなりにアンテナというか感性を研ぎ澄ましておく必要がある。
僕のことに話を戻すと、僕の感性はこのところ曇っていたのだと思う。
この前の午後、Aさんの優しく繊細なハープの調べに耳を傾け、Yさんの目が覚めるほどおいしい紅茶を味わって、感性を覆っていた曇りが拭い去られたのだろう。
ありがとうございます😊
将来への不安、今自分がしていることへの確信のなさ、頭の中で止めどなく続く
「俺、こんなことしてていいのかな」
「大丈夫なんだろうか?」
という脳内会話が、僕の感性を曇らせてきた。
曇りがなくなったとき、あるがままの感性を僕は取り戻す。
そして、あるがままの世界の美しさを感じるようになる。
あるがままで良いのだと思う。
幸せになるために必要なことは、ただ自分自身に立ち返ることなのだと思う。
そのためには
ただ、今自分が何を握り締めているのかに気づいて、要らないものは手放すこと
ただ、今自分が何をしているのかに気づいて、余分なことはやめていくこと
ただそれだけのこと。
あなたが
いつもあなたらしく
幸せでありますように