どんな天気の日も…takechanの書きたいときに書く日記

大阪市阿倍野区在住の暇な趣味人です。好きなことは、木漏れ陽の下で爽やかな風に吹かれること、夕陽を眺めること、美しいものにふれること、そしてなんと言っても、食べることと飲むこと。お酒はビール、ワイン、日本酒などの醸造酒が好きです

食べること飲むこと

愛する

かけがえのない

ユニークなあなたへ


つい最近、このブログを始めた。

書く話題は、食べることに関することが多い。

その理由は

やっぱり大好きだから。


思い出してみると

子供の頃から食べることは大好きだった。

でも、それを長い間、素直に認めることができなかった。

「食べること」って、なんだか動物的なことだという考えがあったから。


食べること、そして、飲むことが大好きなんだと認められるようになったのは、20年ほど前、30歳代初めの頃だった。

いくつかのきっかけがあったが、1番大きかったのは、カリール・ジブランという人が書いた「預言者」という詩集の中の「飲食について」という詩を読んだことだ。

この詩が僕に教えてくれたのは

「食べること飲むこと」が、とても人間的な行為であるとともに、スピリチュアルな行為にもなり得るということだった。

 


それ以来、僕は自分が食べること飲むことが、大好きだということを素直に認め、心から楽しむようになった。

そして、一応、詩人の端くれなので、「食べること飲むこと」についての詩を書き綴った。

20年ほど前に書いたこの詩を、今も時折読み返す。

あの頃に比べると、はるかに舌は肥え(体も肥えてしまった)、食べもの飲みものの好みも、少し変わったけど、あのとき降りてきた言葉は、僕にとって「食べること飲むこと」がどういうことなのかを指し示してくれるから。

 

よければ、僕のこの詩を読んでください。

 

   食べること飲むこと

ミスタードーナツ

オールドファッションにかぶりつく

アメリカンコーヒーを飲みながら

柔らかくて

ほどよい甘さ

コーヒーの薄い苦みとマッチして

なんという快感だろう

この瞬間のために生きているのではないかとさえ思う


油っこい料理

鶏の唐揚げなんかとビールを飲むときの快感

ビールの喉ごし

炭酸の刺激がなんとも言えなくて

この瞬間をあきらめるくらいなら

死んだ方がましだとさえ思う

 

なんと僕は

食べることを愛してきたことか

しかし長い間

それを恥じてきた

動物のように卑しいことだと

 

食べ物を前にして

目で味わうことは

なんて楽しいことだろう

それはセックスを焦らされるような快感だ

 

食器も楽しみの一つだ

ミスタードーナツのコーヒーカップだって

目の保養になる

ウェッジウッドティーカップを使っていた喫茶店

紅茶の中から現れたターコイズブルー

小さな衝撃だった

 

最近あまり高いものは食べていない

高い料理でなくてもかまわない

おいしければいい

僕はどちらかというと

噛むことと

喉ごしを楽しむ方なんだ

 

タイ料理は僕にとっては危険だ

とてもおいしいのだが

あの辛みと酸味のマッチング

香草の香り

すべて気に入っているのだが

この体は

あまりタイ料理は得意ではないらしい

食べた後

胸やけがして

腹の具合が悪くなる

でも

そろそろ

またタイ料理を食べてみたい

 

食卓というのは幸せな場

そして神聖な場でもある

 

古代ユダヤ人は

異邦人と食事をともにしなかった

食事は彼らにとって

神聖な儀式だった

食事をともにすることは

神に選ばれた民であることの証だった

 

カトリック教会の祭壇は

食卓でもある

パンと葡萄酒という姿で現れる神を

食べて飲むための

みんなで神を分かちあうための

 

ハーシーのエクストラクリーミーチョコとペパーミントティー

これもたまらない組み合わせだ

エクストラクリーミーチョコの甘さ

なめらかな口どけ

あの瞬間

僕は麻痺してしまう

まろやかさと甘さの中に

溶け込んでしまう

そこに

ペパーミントティーを流し込み

目を覚ます

これを繰り返すのは

とてもとても楽しい儀式だ

 

いつか

僕がこの肉体を離れたとき

きっと

この世界で食べたものたちのことを思い出して

懐かしく思うだろう

次に行く世界にも食べ物はあるのだろうか

 

物質の食べ物はなくなるが

別の素材の食べ物があるかもしれない

身体がもはや物質ではない何かになっているのだから

 

ふと思う

死んだ後

僕たちが食べるのは

人々の思いや祈りなのではないかと

 

祖先を供養し

死者のために祈りをささげる

それは死んでいった人々の魂に

食べ物を差し出しているのではないかと

 

僕が死んで

誰も僕のことを思ってくれなかったら

どんなにか淋しいことだろう

たとえ

光でできた体になっているとしても

それでは幸せとは言えないだろう

 

僕が死んで

涙を流してくれる人が

もしいたとしたら

その悲しみは

どんな味がするのだろう

 

甘いだろうか

酸っぱいだろうか

 

きっと

苦みのまじった甘酸っぱい味だと思う

グレープフルーツジュースのような


  *************


読んでくださって、ありがとう。

 

ジブランの「預言者」は、素晴らしい本なので、是非一度手に取って読んでみてください。

いろいろな気づきがあるかもしれません。

英語で書かれた作品ですが、僕はあまり英語が得意ではないので、翻訳で読みました。

日本語訳は複数ありますが、至光社が出しているものをお勧めします。

カトリック教会の神父で詩人でもある佐久間彪さんが、美しくわかりやすい日本語に訳してくれています。

 

では

あなたが

自分らしく

幸せであることを祈っています。

 

今日も最後まで読んでくれて、ありがとう。